麻と人類の物語(第2回)
東アジアに息づく「麻の文化」と「祈りのかたち」
麻は、ただの植物ではありません。
それは、人々の暮らしの根であり、祈りの象徴であり、自然と共に生きる知恵でした。
この回では、古代中国から日本列島、そしてアイヌの人々にいたるまで、
麻がどのように文化の中に溶け込み、今も私たちの暮らしに影を落としているのかを見ていきます。
■ 中国:文明のはじまりとともに ― 「麻」は暮らしの礎

麻の最古の記録は、中国新石器時代(約7,000年前)の遺跡にまでさかのぼります。
黄河流域の仰韶文化・龍山文化の遺跡からは、麻の繊維や麻布の痕跡が出土しています。
これが、世界最古級の繊維文化の証拠の一つです。
(出典:H. L. Li, Economic Botany, 1973)
『詩経』には「麻を績(う)む」「麻を織る」といった表現が見られ、
麻がすでに日常生活に欠かせない存在だったことがわかります。
やがて、麻は衣服や縄、紙、そして油など、あらゆる生活素材に使われました。
さらに興味深いのは、古代中国では麻が道徳や品位の象徴とされていたこと。
「麻のごとく真っ直ぐに生きよ(直如麻)」という言葉があるように、
麻のすぐに伸びる茎は「正しさ」「誠実さ」の象徴でもあったのです。
儒家や道教の思想にも、麻の清浄さを重んじる表現があり、
布の白さは「潔白」を、繊維の強さは「堅忍」を表しました。
こうした価値観は、後の東アジア文化全体に深く影響を与えていきます。
■ 日本:麻は「清め」と「結び」の植物

https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/fukui/07/zusetsu/A01/A011.htm
日本における麻の利用は、“縄文時代(約1万年前)”にまでさかのぼります。
福井県鳥浜貝塚などからは、麻の繊維が編まれた縄が出土しています。
弥生時代には栽培が行われ、古代律令制下では「麻布(あさぬの)」が租税として納められていました。
さらに、麻の文化的価値が最も輝いたのは「信仰」の場でした。
神道において麻は、清め・祓い・結びの象徴として重要な意味を持ちます。
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神社のしめ縄や鈴縄(麻製の「鈴緒」)
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神職の装束(麻の白衣)
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神前で用いる「麻苧(あさお)」や「大麻(おおぬさ)」
これらはすべて、穢れを祓い、神と人をつなぐ媒体としての麻の力を表しています。
「清く正しく」という日本の精神性は、まさに麻の性質と重なります。
また、古来より「麻はよく伸びる」として、子どもの成長祈願に麻を贈る風習もありました。
麻は、生命力と清らかさを同時に象徴する植物だったのです。

おおぬさ(大麻)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BA%BB_%28%E7%A5%9E%E9%81%93%29
■ アイヌの麻:自然と語らう繊維

Textiles of Japan: The Thomas Murray Collection
北海道や樺太のアイヌ民族の間でも、麻は大切な植物でした。
アイヌ語で麻を「アトゥㇷ゚(atup)」と呼び、衣類や紐、網などに用いました。
特に、女性たちが麻を績み、織る行為は、自然との対話であり、
暮らしの中に息づく“祈り”そのものでした。
アイヌの人々は、自然界のすべてに「カムイ(神)」が宿ると信じていました。
麻もそのひとつ。
丈夫でまっすぐ育ち、土と太陽をつなぐ麻は、「地母神の贈り物」として尊ばれたのです。
興味深いことに、アイヌの麻文化は、日本本土の神道的な麻信仰とは別系統ながら、
共通して「清らかさ」「自然への感謝」「つながり」を象徴していました。
この価値観は、麻という植物が持つ普遍的な精神性を示しているとも言えるのかもしれません。
■ 韓国:庶民の暮らしを支えた麻

チマチョゴリhttps://wanjeon.tv-aichi.co.jp/102-article/
韓国では、麻は古くから日常生活の必需品でした。
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服飾:伝統的な韓服(한복)の下着や夏用の衣服には麻が使われ、通気性や耐久性を活かしていました。
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日用品:縄や袋、マットなど、生活必需品の多くは麻で作られました。
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儀礼・信仰:麻は清浄さの象徴として、神祭や祖先供養の場で用いられることもありました。
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栽培と産業:朝鮮王朝時代(1392–1897)、麻布(삼베 / Sambe)は農民や庶民の主要な衣料として広く利用され、税として納められることもありました。
韓国の麻文化は、実用性と道徳・信仰の象徴が一体となった特徴を持っています。「清く正しく暮らす」という価値観は、麻の白さや丈夫さに重ねられていたのです。
■ 台湾:先住民の生活と麻
台湾の先住民社会でも、麻は重要な植物でした。
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衣類:女性たちは麻を手で績み、織り、日常衣や戦衣を作りました。
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道具・網:狩猟や漁に使う網や紐も麻から作られました。
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祭礼:麻は清浄の象徴として、祭礼や祖先供養に欠かせない素材でした。
台湾先住民にとって、麻を紡ぎ、織る行為は単なる手仕事ではなく、自然と人・神をつなぐ祈りの営みでした。麻の成長や形は自然の秩序を映し、生活の知恵と精神文化の両面を支えてきたのです。
■ 東アジアに共通する「麻のこころ」

神道の儀式を描いた「神道式」。歌川豊春(1735-1814)による日本の版画。パリ、ギメ美術館、アジア美術博物館。
東アジアの広い地域で見られる麻の文化には、共通する思想が流れています。
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自然との調和
麻は土壌を傷めず、人の手を借りて再生する植物。
環境と暮らしをつなぐ循環の象徴でした。 -
清浄と正直の象徴
白くまっすぐな繊維は、心の清らかさ・誠実さの象徴として信仰や道徳に用いられました。 -
人をつなぐ“結び”の力
縄や布として人の手を結び、社会の絆を支えました。
この「麻のこころ」は、古代から現代まで、
変わらずアジアの人々の精神文化の根に息づいているのです。
■ 結び ― 「麻から服へ、そして感謝へ」

麻は、東アジアの文明を静かに支えてきました。
その清らかさ、強さ、しなやかさは、
どの時代にも「人のあるべき姿」と重ねられてきました。
忠兵衛が大切にしている「麻から服へ、そして感謝へ」という言葉も、
まさにこの流れの延長線上にあります。
麻の服をまとうということは、
古代から続く「自然と人の絆」を受け継ぐこと――
それは、いまを生きる私たちにとっての“祈りのかたち”なのかもしれません。
参考・出典資料
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H. L. Li, “An Archaeological and Historical Account of Cannabis in China”, Economic Botany, 28(4), 1973.
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福井県立若狭歴史博物館『鳥浜貝塚出土資料集』(1985)
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『延喜式』「神祇令」― 麻を神饌に供す記述
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中村学園大学紀要『アイヌ民族と植物利用の研究』(2012)
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佐藤信編『古代日本の生業と信仰』(吉川弘文館, 2008)
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Wikipedia(英語版): History of hemp in China and Japan