コラム

ヨーロッパの麻 ―修道院から航海へ、そして産業革命へとつながる糸

By 2025年12月7日12月 28th, 2025No Comments

麻と人類の物語(第6回)

― ヨーロッパの麻 ―

修道院から航海へ、そして産業革命へとつながる糸

ヨーロッパにおける麻の歴史は、単なる「繊維の発展史」ではなく、信仰と技術、自然と人間の関係性の変遷そのものです。

麻はここでもまた、人々の祈りと労働、そして夢を結び続けてきました。


■ 中世初期 ― 修道院が守った「神の布」

A.D. 900, French 出典 Wikimedia Commons

ローマ帝国崩壊後、ヨーロッパは混乱の時代に入りました。
しかし、その中でも修道院は「祈り」と「知恵」の拠点として機能し、麻の栽培と織布の技術を守り続けました。

中世の修道士たちは、麻を「神が授けた清浄な素材」として扱い、聖職者の衣や祭壇布、聖典を包む布に用いました。
(出典:M. Bloch, Feudal Society, 1939)

また、羊皮紙にかわって、『麻布を原料とした紙(hemp paper)』が登場します。
これは後に、聖書や写本の制作に欠かせない素材となりました。

麻は“信仰の繊維”として、
中世ヨーロッパの精神世界を静かに支えたのです。


■ ルネサンス期 ― 知の広がりと麻紙の革命

CC BY-SA 4.0、https://commons.wikimedia.org/w/index.php? curid=50888029

15世紀、グーテンベルクによる活版印刷の発明がヨーロッパを変えます。
その印刷物の多くが、実は麻紙に刷られていました。

最初期の印刷聖書である『グーテンベルク聖書』(1455年)も、麻を主原料とした紙に印刷されています。
(出典:J. Man, The Gutenberg Revolution, 2002)

麻紙は耐久性が高く、湿気にも強い。
そのため、知識の記録と伝達を支える“媒体”として重宝されました。

つまり、麻はこの時代、知識と思想を運ぶ繊維へと進化したのです。


■ 大航海時代 ― 海を渡る「麻の帆と縄」

https://hemptique.com/pages/tarred-marline-guide?srsltid=AfmBOorUAoc501b8PqZOtlk2C_-TnQqgp4TUquGRjy1VLRYkYz06WHhv

15〜17世紀、ヨーロッパは大航海時代を迎えます。
コロンブスの船も、マゼランの艦隊も、その帆と縄はすべて『麻(hemp)』でできていました。

麻は、

  • 塩水に強く、

  • 日光に耐え、

  • 軽くて丈夫。

船にとって理想的な素材でした。

1隻の大型船には、60〜100トンもの麻製帆布と縄が必要だったといわれます。
(出典:A. P. Usher, A History of Mechanical Inventions, 1929)

つまり、麻がなければ航海も地理発見も成立しなかったのです。
麻は、まさに“世界を広げた繊維”でした。


■ 18〜19世紀 ― 産業革命と「繊維の主役」

18世紀、イギリスで始まった産業革命は、綿(コットン)の登場によって繊維産業の主役を塗り替えました。
しかし、麻は依然として産業用素材の王者として君臨します。

  • 帆布、縄、紙、袋、軍服、地図、紙幣。
    どれも、麻がなければ成立しなかった時代。

特にナポレオン戦争期(1800年前後)には、フランス軍の制服・軍船・砲車の帆や縄に、ヨーロッパ中の麻が使われていました。

一方で、当時の修道院や職人たちは、伝統的な手績み・手織りの麻布を守り、「質実・清廉・自然との調和」という価値を残し続けました。

こうして麻は、産業と信仰、効率と誠実さという二つの価値を内包しながら、近代の時代を生き抜いたのです。


■ 近代以降 ― 麻の再発見とエコロジーへの回帰

UnsplashのRemedy Picsが撮影した写真

20世紀になると、石油系繊維や工業化が進み、麻は一時、姿を消していきます。

しかし21世紀、環境問題とともに再評価が始まりました。
「土に還る繊維」「脱炭素社会の素材」として、再び麻が注目を浴びています。

ヨーロッパでは、フランス、オランダ、イタリアなどが中心となり、サステナブル素材としての産業用ヘンプの栽培が拡大中。

その流れは、“自然と調和して生きる”という古代の思想を、現代へと呼び戻しているとも言えるでしょう。


■ 結び ― 「清廉」と「進化」を結ぶ繊維

修道院の静かな祈りから、大海原を渡る帆、そして工場の轟音まで。

麻は、ヨーロッパのあらゆる時代と場面に姿を変えながら、人の営みを結び続けてきました。

麻布をまとうということは、その千年の記憶――
「清廉な祈り」と「技の進化」の両方を、自らの肌で感じることなのかもしれません。

麻は、古代の精神と現代の未来をつなぐ、“循環の繊維”であり続ける存在です。


参考・出典資料

  1. Marc Bloch, Feudal Society, Routledge, 1939.

  2. James Burke, Connections, BBC Books, 1978.

  3. John Man, The Gutenberg Revolution, Wiley, 2002.

  4. A. P. Usher, A History of Mechanical Inventions, Harvard University Press, 1929.

  5. Clarke, R.C. & Merlin, M.D., Cannabis: Evolution and Ethnobotany, University of California Press, 2013.

  6. European Industrial Hemp Association (EIHA) Reports, 2022.