和雑貨でよく目にする、麻の葉文様。
馴染みのある柄ですが、実は、麻の葉がモチーフではなかったり、仏像が着ていたり。
調べてみると、へえ〜と思うことが、あれこれ出てきました。
日本文化の真中にあった「麻の葉文様」の豆知識をお届けします。
「麻の葉文様」は、正六角形を基本にした幾何学模様
「麻の葉文様」は、正六角形の対角線によってできる六つの正三角形の重心と各頂点を結んでできる星型の文様です。
形が麻の葉に似ていることから、この名がつきました。
麻の葉をモチーフにした文様ではないので、植物文様のカテゴリーには入りません。
植物文様とは、銀杏や梅、葵など、植物そのものをモチーフにしたもの。
麻の葉模様は、図形をデザインしたものなので、植物文様ではありません。
点と線で構成された幾何学模様であり、永遠に繰り返される均整のとれた美しさが特徴です。
北斎が描いた12の「麻の葉文様」
浮世絵の巨匠、葛飾北斎は「新形小紋帳」の中で、12パターンの「麻の葉模様」を描いています。
現在でも目にする柄が、北斎の描いた「麻の葉文様」だったなんて、驚きですね。
その一部をご紹介します。
詳しくは、こちらKatushuka Hokusai “Shingata komon cho” 大英図書館 British Museum
時代で見る「麻の葉文様」
「麻の葉文様」が登場するのは平安時代です。
現代まで続く、「麻の葉文様」の遍歴を時代とともに見ていきましょう。
●平安時代
麻の葉文様は、平安時代には仏像の装飾などに使われていました。
金箔や銀箔を糸のように細く直線状に切ったものを、膠(にかわ)などで貼り付けて、麻の葉文様をあしらいました。
厄除けや魔除けの模様として用いられたようです。
●鎌倉時代・室町時代
鎌倉・室町時代には、密教系の尊像や曼荼羅の地の模様として「麻の葉文様」が描かれました。
たとえば、京都・大報恩寺の仏像(1220年前後)の衣装に、麻の葉文様が使われています。
また、奈良・西大寺の愛染明王(1247年)の衣服にも、麻の葉文様が描かれています。
当初は多くの柄のひとつであり、ときには上からさらに丸紋が重ねられ気づきにくいものもありました。
<般若菩薩曼荼羅(南北朝時代)中心の藍色の地の模様が麻柄の変形>
仏教美術が没落していくと、粗雑な像の衣服にも麻の葉が取り入れられました。
これらは比較的地位が低い尊像でありましたが、民衆からはしたわれており、「麻の葉文様」が民衆へ普及したことと関係があると言われています。
仏像のほか、建築、染織、漆工などのさまざまな工芸品、美術品に、あしらわれるようになります。
家紋にも採用されはじめます。
「丸に麻の葉文」「三ツ割麻の葉文」「麻の葉桔梗文」などが有名です。
家紋について詳しく知りたい方は、こちらをご参照ください。
また宮城県の青麻神社の紋も、麻の葉文様が用いられています。
●江戸時代
「麻の葉文様」が一斉を風靡するのが、江戸時代です。
人気歌舞伎役者が麻の葉文様の衣装を身につけた舞台が大ヒット。
歌舞伎役者を描いた浮世絵の中に、「麻の葉文様」が多く登場しはじめます。
浮世絵は江戸時代当時、人々にとっては現代でいうタブロイド誌やファッション誌、アイドルブロマイドのようなものです。
皆がこぞって真似をしだし、麻の葉文様は瞬く間に、広まっていきました。
町娘役の衣装だったことから、若い娘の代表柄となりました。
とくに、「絞り染め」という技法を用いて、「麻の葉文様」を紅色に染めた「麻の葉鹿の子」は、艶やかな女らしさを際立たせる文様として、江戸の女子たちに人気だったようです。
<歌川豊国作(1860年)八百屋お七 / 丸に封じ文の紋、麻の葉鹿の子柄の振袖で、典型的なお七の衣装>
また、このころは子供の死亡率が高かった時代です。
麻は生命力が高く、すくすくとまっすぐ伸びることから、生まれた子供の産着にする風習がはじまりました。
女の子には赤、男の子には黄色か浅葱色の麻の葉文様の着物を着せていました。
麻の葉文様には邪気を払う力があるともされていました。
子どもの健やかな成長、そして厄除け、魔除けとしての祈りが込められていたのです。
●現代
現代でも「麻の葉文様」はたいへん馴染み深い柄です。
「麻柄」と呼ばれることも多いですね。
子どもの産着としても、人気があります。
日本人の生活に当たり前に浸透している、「麻の葉文様」。
図形としての美しさと、「麻」という日本人にとって大切な植物の存在感が、「麻柄」を馴染み深くさせているのではないでしょうか。