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ユーラシアの草原と麻

By 2025年11月25日No Comments

 麻と人類の物語(第3回)

― ユーラシアの草原と麻 ―

KanenoriによるPixabayからの画像

風と祈りのあいだに生きた、遊牧の民の知恵

はるか昔、黒海からアルタイ山脈まで、果てしなく広がる草原地帯――。
そこを駆けた人々、スキタイ(Scythians)サカ(Saka)などの遊牧民族たちは、馬と羊とともに暮らし、自然と調和する知恵を持っていました。
その暮らしの中で、“麻(カンナビス)”は特別な意味をもって存在していました。


■ 草原に残された「煙の儀礼」 ― スキタイの麻利用

https://www.nationalgeographic.com/culture/article/earliest-evidence-cannabis-marijuana-smoking-china-tombs?utm_source=chatgpt.com

紀元前5世紀、ギリシアの歴史家ヘロドトスは、自著『歴史』の中でこう記しています。

「スキタイ人は、麻の種を火に投じ、その煙を浴びながら歓喜の声をあげる。」
(『歴史』第4巻より)

この一文は、後世の考古学者たちに長く謎を投げかけました。
「本当に麻を焚いていたのか?」
「それは儀礼か、それとも薬用か?」

そして、21世紀――。
中国・新疆ウイグル自治区のジャルクン墓地(Jirzankal Cemetery)で、約2,500年前の墓から麻の燃焼痕と化学的残留物が発見されます。
分析の結果、それが確かにカンナビノイド成分を含む麻であることが確認されました。
(出典:Science, 2019)

つまり、ヘロドトスの記述は伝説ではなく、実際の儀礼を描いた歴史的証言だったのです。

この儀礼は、死者を送る葬祭の一部であり、
煙を通じて“この世とあの世をつなぐ”ための行為だったと考えられています。
麻の煙は、彼らにとって祈りの媒介であり、風に乗せて魂を天に還す象徴でもあったのです。


■ 中央アジア ― 「死と再生の植物」としての麻

https://www.nationalgeographic.com/history/article/marijuana-cannabis-pot-weed-burial-shroud-china-ancient-discovery-scythians-turpan-archaeology-botany?utm_source=chatgpt.com

草原をさらに東へ進むと、タリム盆地やアルタイ山脈にいたる地域に、サカやウソンなど、スキタイ系の遊牧文化が広がっていました。

2006年、中国トルファン近郊の墓から、完全な形で保存された麻の束が発見されました。
それは、若い男性の遺体の胸に丁寧に置かれており、死者を守るお守り、または再生を祈る象徴と考えられています。
(出典:National Geographic, 2016)

興味深いのは、この時代の麻が『「繊維」ではなく“植物そのもの”として扱われていた』ことです。
つまり、布や紐の材料ではなく、「生命力を宿す存在」「聖なる媒介物」としての意味合いが強かったのです。

遊牧民にとって、自然は生きた神々の世界。
麻はそのなかでも「火」「風」「命」の象徴でした。
火に投じて煙とし、風に乗せ、命を空へと送り返す――
そこに、麻という植物の霊性が息づいていたのです。


■ 草原の繊維文化 ― 麻がもたらした交易の道

もちろん、麻は祈りだけでなく、暮らしを支える素材でもありました。
遊牧の人々は、麻の繊維から紐や網、馬具の一部を作り、軽く丈夫な素材として重宝しました。

この地域から発掘される布や縄には、亜麻や羊毛とともに麻の繊維が混在しており、すでに繊維文化の交易が存在していたことがうかがえます。

また、草原を通じて東西をつなぐシルクロードの原型にも、麻繊維が重要な役割を果たしていました。
麻は、重い絹よりも実用的で、遠距離移動を行う商人や兵士にとって欠かせない素材だったのです。


■ 「煙の植物」から「結びの植物」へ

スキタイやサカの儀礼に見られるように、麻は最初、「煙を介して神とつながる植物」でした。
やがて時代が下るにつれ、繊維としての価値が広がり、人と人を『“結ぶ”植物』へと変化していきます。

これは、東アジアで麻が「結び」「清め」の象徴とされた流れとも響き合います。
祈りの文化と実用の文化――
それらが融合して、麻は“生命と文明を結ぶ糸”になっていったのです。


■ 結び ― 風に乗る祈り、いのちの記憶

草原の風を受け、麻の煙が立ちのぼる光景。
そこには、人と自然と魂が交わる、静かで力強い“いのちの循環”がありました。

現代の私たちは、もう煙を焚いて祈ることはないかもしれません。
けれども、麻の服をまとうという行為には、いまも変わらぬ「つながり」と「再生」の意味が宿っています。

それは、遠い草原で祈った人々の記憶を、私たちが静かに受け継いでいるということ。

麻は、過去と未来を結ぶ――
地球の呼吸をそのまま形にした植物なのです。


参考・出典資料

  1. Herodotus, Histories, Book IV.

  2. Ren et al., “The earliest evidence for Cannabis smoking in the ancient world”, Science, Vol. 364 (6440), 2019.

  3. “Ancient cannabis ‘burial shroud’ discovered in desert oasis”, National Geographic, 2016.

  4. Mallory & Mair, The Tarim Mummies: Ancient China and the Mystery of the Earliest Peoples from the West, Thames & Hudson, 2000.

  5. D. P. Anthony, The Horse, the Wheel, and Language, Princeton University Press, 2007.

  6. British Museum, Scythians: Warriors of Ancient Siberia Exhibition Catalogue, 2017.